コンセプト
「自然を科学する Noevir」肌にとって自然であること。
だからこそ今の仕事をしています。
これは 変わらない 変えたくない 私のポリシ-です。
色々な年齢のお客様の中で、その年齢で一番輝けるお肌があると思うのです。
勿論、お客様の希望も色々。
お肌のお悩み・状態・・・。
だからこそ、一人ひとり違う価値観や状態の中で、[Only One]のご提案をさせて頂きたいと 考えております。
【変えてはいけない事】
お客様の声を傾聴し、お客様にとって何がベストな事なのかを、人に合わせて複数ご提案できる体制・知識・技術の習得なのです。
【変わらないいといけない事】
情報社会の世の中で、従来のやり方ではなく、より確実に結果を出す事により、最新の技術を受け入れ、変化しお客様にお伝えし、ご満足頂く事です。
10年後の自分がどんな姿で、どうなっていたいのか?
その為に今何をするべきなのか?
10年は長いと思いますが、時間の経過はあっとゆう間。
お客様の人生に少しだけ関われたら幸せだと思っております。
伝統と進化~Only Oneの貴方へ
趣味:映画鑑賞・飲み会・フラワーアレンジメント・音楽ライブ観戦
私が美容関係に携わるきっかけとなったのは、ある体験を通じ、どうしても綺麗になりたいと思いました。
高校2年生の時、その時代のデパートの美容部員さん方は、どなたもとても綺麗で素敵だったことから、私も憧れの化粧品関係のお仕事に就きたいと思うようになっていました。
そして高校3年の夏休みに、母のところにNoevir化粧品の販売の方が来られました。
当時から学校がお休みの時はメイクはしていましたが、マッサ-ジをしてもらいNoevir化粧品を使ったその時、いつものファンデ-ションとは全く別物のような、違和感なくまるでファンデーション自体が自分の肌一部であるように、す~っと伸びて馴染んたことが40年近く経った今でも鮮明に覚えています。
そして、この時に基礎化粧品はどうあるべきかの大切さを身をもって感じたのです。
それほど私にとっては劇的な体験で、その場で契約をしたのは言うまでもありません。
卒業後はOLをしながらNoevir化粧品販売もしていました。
結婚後は、宝石販売でパ-トをしながらもNoevir化粧品販売も続ける生活が続きました。
そして、そろそろ子供を作ろうか・・ と考えた時、育児中のパ-ト賃金が無くなることに不安を覚えました。
恥ずかしながら、浪費家傾向があり、ファッションや飲み会代金が凄くかかる人だったからです。
その思いがきっかけとなり、自己消費目的の販売から、好きな化粧品販売で生計を立てようと思い、昇格システムのあったNoevirで昇格をし、山中グル-プを発足させました。
この時長男を出産した時で私は27歳でした。
子育てしながら販売をして、次の子供の計画を2年後にし、同時に今のサロンつきの家を建てました。この時29歳でした。
2人の子育メインともなると、今までのようなフットワークが軽いお仕事が困難になってきた時に、第2の転機が突然やってきました。
ある日、子供と散歩していたら 突然幼稚園での先輩ママさんから 声をかけられました
「美容のお仕事してるの?」と聞かれ、何で知ってるのか不思議にと思いましたが、その理由は、長男が母の日のお母さんの絵で『お母さんお化粧のお仕事頑張ってね』と書いていたからでした。
その方も化粧品に興味があり、いつも通りNoevir化粧品を体験して頂いたのですが、『商品の素晴らしさをもっと他の方に知って欲しい!』『自分も販売して綺麗な人を増やしたい』と言ってくれました。
この日から私の生活が一変しました。
子育てとの併用で悶々としていた状況から、スタッフを育てることにより、今まで1つしかなかったことから2になり3になり・・・結果、みんなで力を合わせることにより個々がさらに飛躍できるのではないかと思い、スタッフ育成に力を注ぐこととなりました。
確かに、子育てもしながらお仕事もフル回転・・・とても大変でしたが、とても楽しく充実した日々でした。
みんなで頑張った結果、2002年には山中グル-プで 販売コンク-ル全国3位にもさせて頂きました。
沢山のお客様や販売店さんがいる中で、さらにレベルアップをと思い、2004年にNoevirメイクアップクリエ-タ-の資格も取得しました。
この年から子供達も少年野球に入り、益々忙しくなっていきました。
2006年39歳に疲労から、心と体のバランスがずれてしまい、メニエルや倦怠感を感じ体調に異変が起きました。
このことをきっかけに、健康についても興味を持ちはじめ、本来あるべき健康のためのサプリメントを真剣に勉強し始めました。
それから4年後2010年に、スキンケアアドバイザ-の免許を取得しました。
それだけでは終わらず、さらに精神的な壁が襲い掛かってきました。
3年間で両親を含め身内が立て続けに7人も他界してしまったのです・・
連続した悲しい別れと、愛する長男が一人暮らしで家を出た事からの心の寂しさから、精神的に落ち込む日々が続きました。
お陰様で、今思えば辛い経験を乗り越えることにより、精神的に強くなれたのかと思います。
楽天家な性格ですので、『悲しいスイッチ』がどこかでOFFになってしまたのかもしれませんね。(笑)
その後4年間は静かに過ごしていましたが、2018年に新たに美容整骨に出会い8月に美容整骨師の免許を取得し、『小顔美容整骨サロン 美海』も立ち上げる事となりました。
そして今2020年 サロン名も新しく『美S H.(ビ-・エス・エイチ.)』として、美と健康を軸にした総合サロンに生まれ変わりました。